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腫瘍病理学

● イヌの乳腺腫瘍の分子病理学的研究 2010年~現在

 雌イヌにおいて発生頻度の高い腫瘍である乳腺腫瘍を研究テーマの一つにしています。近年、ヒト医療では癌に高発現する分子を狙い撃ちにする分子標的治療法が発展しています。イヌの乳腺腫瘍においても、癌の進行に重要な役割を果たし、治療標的になり得る候補分子を探索しています。

 S100蛋白の一つであるS100A4は、イヌの正常乳腺や良性の乳腺病変では発現しないにもかかわらず、一部の悪性乳腺腫瘍、特に退形成癌と呼ばれる最も悪性度の高い乳腺腫瘍の亜型において発現がみられました。S100A4を発現するイヌの乳腺癌から新たな培養細胞株NV-CMLを樹立し、RNA干渉技術を用いてS100A4の発現をノックダウンしたところ培養細胞の増殖能や遊走能が低下しました。このことからS100A4がイヌの乳腺癌の増殖や運動機能に関わっており、治療標的分子候補となる可能性が示唆されました。

 NestinはVI型中間径フィラメントに分類される細胞骨格蛋白で、神経幹細胞のマーカーとされていました。イヌの乳腺におけるnestinの発現を検討したところ、正常乳腺や良性の乳腺増殖性病変の腺上皮細胞には発現されないにもかかわらず、3割程度の悪性乳腺腫瘍、特に転移や増殖活性が高いなどの高悪性度の性質を持つ乳腺癌の腺上皮細胞には発現していることがわかりました。またnestinの発現は、間葉系マーカーであるvimrntinの発現と相関性を示しました。さらにイヌの乳腺癌培養細胞におけるnestinの発現を、RNA干渉技術によりノックダウンしたところ、nestinの発現が低下した癌細胞は、増殖能や移動能などが低下することが判明しました。このようにnestinがイヌの乳腺癌の悪性挙動の一部に関与している可能性が示唆されました。

Vet Pathol. 2019 56(3):389-398.

 Expression and Roles of S100A4 in Anaplastic Cells of Canine Mammary Carcinomas

 H. Yoshimura, A. Otsuka, M. Michishita, M. Yamamoto, M. Ashizawa, M. Zushi, M. Moriya, D. Azakami, K. Ochiai, Y. Matsuda, T. Ishiwata, S. Kamiya, K. Takahashi.

Vet Pathol. 2021 58(5):994-1003.

 Involvement of Nestin in the Progression of Canine Mammary Carcinoma

 H. Yoshimura, M. Moriya, A. Yoshida, M. Yamamoto, Y. Machida, K. Ochiai, M. Michishita, T. Nakagawa, Y. Matsuda, K. Takahashi, S. Kamiya, T. Ishiwata.

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S100A4を発現するイヌの乳腺癌培養細胞

● イヌの乳腺腫瘍の分類に関する病理学的研究 2010年~現在

1999年のイヌの乳腺腫瘍のWHO分類では、比較的悪性度の高い組織型とされた単純癌(simple carcinoma)は「腺上皮あるいは筋上皮細胞のどちらか一方のみからなる癌」と定義されていました。また腺上皮と筋上皮が混在する腫瘍において、出現する筋上皮成分は異型性をほとんど示さないと考えられていました。しかしその後、腺上皮と筋上皮を免疫染色で鑑別できるいくつかの有用な抗体がみつかり、これまで形態学的に腺上皮と考えられていた異型性の高い細胞の中に、筋上皮由来のものがあることがわかってきていました。

そこで単純癌の一亜型である充実癌(solid carcinoma)と過去に診断されていた72症例を免疫染色結果に基づき再分類したところ、23症例が腺上皮由来の単純性充実癌(真の単純癌)、11症例が筋上皮由来の単純癌(悪性筋上皮腫)、38症例が腺上皮と筋上皮が混在した二相癌であることが判明しました。そして腺上皮由来の単純癌に比べて、筋上皮成分を含む残り二つの型は予後不良を示唆する病理学的指標がはるかに良好でした。このように腺上皮由来の単純性充実癌と筋上皮成分を含む二つの型は、予後を予測するためにも別の分類にする必要があることを提案しました。

これらの成果などにより、現在のイヌの乳腺腫瘍分類では単純癌は「腺上皮のみから成る癌」と定義され、筋上皮のみからなる癌は悪性筋上皮腫に分類されています。また腺上皮と筋上皮の両方に悪性の所見を示す二相性の癌は、癌及び悪性筋上皮腫(carcinoma & malignant myoepithelioma)という分類が設けられています。

Vet Pathol. 2014 51(6):1090-5.

 Differences in indicators of malignancy between luminal epithelial cell type and myoepithelial cell type of simple solid carcinoma in the canine mammary gland

 H. Yoshimura, R. Nakahira, T.E. Kishimoto, M. Michishita, K. Ohkusu-Tsukada, K. Takahashi.

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腺上皮と筋上皮の二相性増殖から成るイヌの乳腺癌

● ヒトの膵癌における長鎖ノンコーディングRNAの研究 2012年~2020年

長鎖ノンコーディングRNAは蛋白質をコードしないRNAで、以前は役割を持たないと考えられていましたが、近年様々な機能が発見されて注目されています。最も難治性の癌の一つであるヒトの膵癌の培養細胞において、マイクロアレイにより転移に関係する遺伝子発現を調べたところ、長鎖ノンコーディングRNAの一つであるH19が見出されました。またin situ hybridization法によりヒトの膵癌の臨床検体において、特に高グレードの症例でH19の発現がみられることを確認しました。そこでヒト膵癌培養細胞においてH19の発現を上下させたところ、運動能が変化することがわかりました。さらにH19の発現を低下させた細胞株は、免疫不全マウスに移植しても転移巣形成が著しく少ないことがわかりました。このように長鎖ノンコーディングRNA H19はヒト膵癌の転移に重要な役割を果たしていることが示唆されました。

Lab Invest. 2018 98(6):814-824.

 Reduced expression of the H19 long non-coding RNA inhibits pancreatic cancer metastasis

 H. Yoshimura, Y. Matsuda, M. Yamamoto, M. Michishita, K. Takahashi, N. Sasaki, N. Ishikawa, J. Aida, K. Takubo, T. Arai, T. Ishiwata.

Front Biosci (Landmark Ed). 2018 23:614-625.

 Expression and role of long non-coding RNA H19 in carcinogenesis

 H. Yoshimura, Y. Matsuda, M. Yamamoto, S. Kamiya, T. Ishiwata.

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​ISHにより赤いドット状に染色される長鎖ノンコーディングRNA, H19

● ペットのジャンガリアンハムスターの乳腺腫瘍の病理学的検索 2008年~2015年

アニメの人気で日本で飼育数が増えたジャンガリアンハムスターには、しばしば乳腺腫瘍が発生します。病理検査に提出されたジャンガリアンハムスターの乳腺腫瘍45症例を病理組織学的に分類したところ腺腫14例、腺癌18例、脂質産生癌1例、腺扁平上皮癌2例、悪性腺筋上皮腫2例、良性混合腫瘍1例、癌肉腫7例といった多様な亜型に分けられました。特に比較的発生頻度の高かった癌肉腫は、風船様細胞(balloon cell)と名付けた特徴的な大型空胞を有する腫瘍細胞が混じる独特の組織像を呈していました。また上皮成分と間葉成分の間に移行像が認められることから、これらは真の癌肉腫ではなく、上皮間葉転換により生じる腫瘍であることが示唆されました。

Vet Pathol. 2015 Nov;52(6):1227-34.

 Characterization of Spontaneous Mammary Tumors in Domestic Djungarian Hamsters (Phodopus sungorus)

 H. Yoshimura, N. Kimura-Tsukada, Y. Ono, M. Michishita, K. Ohkusu-Tsukada, Y. Matsuda, T. Ishiwata, K. Takahashi.

J Vet Diagn Invest. 2010 22(2):305-9.

 Lipid-rich carcinoma in the mammary gland of a Djungarian hamster (Phodopus sungorus)

 H. Yoshimura, N. Kimura, R. Nakahira, M. Michishita, K. Ohkusu-Tsukada, K. Takahashi.

図6.jpg

​風船様細胞の混在するジャンガリアンハムスターの乳腺腫瘍

● イヌやネコの乳腺腫瘍における癌間質微小環境の研究 2008年~2015年

癌組織は癌細胞だけではなく間質を構成する細胞や細胞外基質が含まれています。近年、癌細胞は正常な細胞である間質細胞に働きかけ、癌細胞と間質細胞の相互作用により癌が進行していくと考えられるようになってきました。特に癌間質の線維芽細胞は癌関連線維芽細胞(cancer associated fibroblasts; CAFs)と呼ばれて、重要視されています。

イヌの乳腺腫瘍におけるCAFsの出現を調べるために、CAFsがα-smooth muscle actin(αSMA)を発現する筋線維芽細胞の性質を示すことを指標に検討したところ、高悪性度の乳腺腫瘍において間質に筋線維芽細胞が有意に多く出現していることがわかりました。またヒトの癌の浸潤に関わるとされる細胞外基質蛋白であるテネイシン-cを免疫染色で調べたところ、イヌの乳腺腫瘍では間質における発現と基底膜における発現の二つのパターンがあり、間質におけるテネイシン-c発現は高悪性度の乳腺癌で有意に多い一方で、基底膜におけるテネイシン-c発現は良性の乳腺腫瘍でもしばしば認められました。二重免疫染色や、免疫染色-in situ hybridization重染色を実施してテネイシン-cの産生細胞を検討したところ、間質のテネイシン-cは筋線維芽細胞が産生していることがわかりました。このようにイヌの高悪性度の乳腺癌において、間質に出現する筋線維芽細胞がテネイシン-cを産生することで癌の進展に寄与している可能性が示唆されました。一方で、良性の乳腺腫瘍における基底膜領域に発現するテネイシン-cは筋上皮細胞が産生していることが判明し、筋線維芽細胞が産生するテネイシン-cとは別の機能があるのではないかと考えられました。

また同様の検討をネコの乳腺癌でも行ったところ、イヌの乳腺癌と比べて間質における筋線維芽細胞の出現とその周囲における細胞外基質テネイシン-cの発現が明らかに多く、ネコの乳腺癌の悪性度の高さを反映する結果が得られました。

・ Vet Pathol. 2011 48(1):313-21.

 Increased presence of stromal myofibroblasts and tenascin-C with malignant progression in canine mammary tumors.

 H. Yoshimura, M. Michishita, K. Ohkusu-Tsukada, K. Takahashi.

・ Histol Histopathol. 2011 26(3):297-305.

 Appearance and distribution of stromal myofibroblasts and tenascin-C in feline mammary tumors.

 H. Yoshimura, M. Michishita, K. Ohkusu-Tsukada, K. Takahashi.

Vet Pathol. 2015 52(1):92-6.

 Cellular sources of tenascin-C in canine mammary carcinomas.

 H. Yoshimura, M. Michishita, K. Ohkusu-Tsukada, Y. Matsuda, T. Ishiwata, Z. Naito, K. Takahashi.

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​イヌの乳腺癌間質に出現する筋線維芽細胞(左)とその周囲に発現するテネイシン-c(右)

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